序章:ロゴスとアルゴリズム
「もしも」という言葉は、日常では軽やかに使われる。もし雨が降ったら、もし別の道を選んでいたら、もし世界が少し違っていたら。だが、この小さな言葉は、論理・数学・物理・計算・倫理を横断する巨大な構造を抱えている。
本書は、「もしも」を単なる空想や仮定ではなく、世界を分岐させ、可能性を比較し、判断を支える形式として読み直す試みである。そこには少なくとも三つの層がある。
第一に、数学的 if がある。これは命題論理や証明、公理系に現れる「ならば」の世界である。ここでの if は、感情や時間をそぎ落とされ、前提と結論の関係として厳密に扱われる。
第二に、現実的 if がある。これは因果、確率、量子力学、カオス、創発の中に現れる。世界は決定論的に一本道で進むように見えることもあれば、確率的な揺らぎや初期条件への鋭敏な依存によって、いくつもの可能な経路へ分かれて見えることもある。
第三に、仮想的 if がある。これはアルゴリズム、決定木、ニューラルネットワーク、シミュレーションの中に現れる。計算機は「もし条件を満たすならば」という分岐を積み重ね、まだ起きていない世界をモデル化し、未来の選択を評価する。
本書の狙いは、これら三つの if を別々の話題として並べることではない。むしろ、それらが互いに響き合う場所を見つけることである。数学的 if は、可能性を厳密に扱うための骨格を与える。現実的 if は、その骨格が不確実な世界に触れたときの揺らぎを示す。仮想的 if は、その揺らぎを計算可能なかたちへ変換し、選択や予測の道具にする。
この意味で、「もしも」とは単なる仮定ではない。それは、現実を一度ほどき、別の秩序のもとで組み直すための思考装置である。
以後の章では、論理の階梯から出発し、非ユークリッド幾何、反実仮想、確率、量子力学、カオス、アルゴリズム、学習、シミュレーション、倫理へと進む。各章は独立した主題を扱いながらも、すべて「条件が変わると世界の意味はどう変わるのか」という一つの問いへ戻ってくる。
「もしも」は、現実逃避ではない。それは、現実をより深く理解するための迂回路である。