第一節 思想的共鳴の歴史的舞台
一 ミュンヘン宮廷という坩堝
一三世紀末から一四世紀前半にかけて活躍したベーコン、マルシリウス、オッカムの三者は、直接の師弟関係や組織的な連携によって結びついていたわけではない。ベーコンは一二九二年頃に没しており、マルシリウス(生没年一二七五/八〇〜一三四二/三)やオッカム(同一二八七〜一三四七)と同時代人ではあるが、直接の接触はなかった。
しかし、マルシリウスとオッカムは一三二八年以降、同じ皇帝ルートヴィヒ四世の宮廷(主としてミュンヘン)に庇護を求めて活動した。この「皇帝の宮廷」という場が、二人の思想的交錯の舞台となった。
ルートヴィヒ四世の宮廷は、一四世紀前半のヨーロッパで最も反教皇的な思想家たちが集まった場所であった。マルシリウス(『平和の擁護者』の著者)、オッカム(唯名論の思想家・清貧論争の急先鋒)、ミヒャエル・ド・チェゼーナ(フランシスコ会長)、ウベルティーノ・ダ・カサーレ(霊的フランシスコ会士の指導者)などが、この宮廷で議論を交わした。
彼らはそれぞれ異なる問題意識と方法論を持ちながら、「教皇権による世俗的・知的支配からの解放」という共通の課題に取り組んでいた。
オッカムとマルシリウスの思想が相互に影響し合ったことは確かだが、その影響関係の詳細は歴史的に確定しがたい。ただし、両者が共通して「教会の権限の限定」「個人の権利と自由」「立法権の世俗化」という問題を論じていることは明白であり、彼らの思想の構造的類似性は単なる偶然とは言えない。
第二節 三つの解放――中世的ヒエラルキーの解体
一 ベーコン:自然の解放
中世的秩序の解体という観点から三者の思想を総覧すると、それぞれが異なる領域で相補的な「解放」を遂行したことが浮かび上がる。
ロジャー・ベーコンが遂行した最も根本的な思想的操作は、「自然(natura)」を神学的目的論の支配から解放しようとする試みであった。中世の自然理解においては、個々の自然現象はすべて「神の目的」という上位の秩序から意味を与えられていた。
石が下に落ちるのは「土は宇宙の中心(地球)へ向かう性質を持つ」からであり、これは神が創造に定めた秩序の現れである。自然を「研究する」ことは、神の創造の秩序を「読む」ことに等しかった。
ベーコンはこの枠組みを維持しながらも、その内部に根本的な亀裂を入れた。自然を真に理解するためには、権威ある書物への訴えではなく、経験と実験と数学的分析が必要だと主張することで、彼は事実上「自然認識の自律的方法」を確立した。
神学的目的論は依然として背景にあるが、実際の自然探究のプロセスからは切り離されていく。この「実践的な自律性」が、後の科学革命の方法論的基盤となった。
二 オッカム:理性(知)の解放
オッカムが遂行した最も根本的な思想的操作は、「理性(ratio)」と「哲学的知」を神学的な管理から解放することであった。アクィナスの体系においては、哲学的理性は神学的真理と調和する——むしろ神学的真理を支持する——ことが期待されており、神学から独立した哲学的結論は疑念の目で見られた(一二七七年のパリ断罪はその典型)。
オッカムは神学と哲学の厳格な領域分割によって、理性的・哲学的探究の自律性を確保した。「この命題は哲学的には証明できないが、信仰として保持する」という表現が示すように、哲学的な論証可能性と神学的な信仰の正当性は別々の基準によって評価される。
これにより、哲学者・自然哲学者は「神学的真理との整合性」という制約なしに、純粋に理性的・経験的な基準によって真理を探究できるようになった。
この「理性の解放」は、一六〜一七世紀の科学革命においてその成果を収穫することになる。ガリレオが地動説を主張する際に直面した困難は、まさにこの「哲学的・科学的真理と神学的教義の境界線」の問題であった。
オッカムが哲学的に確立した境界線は、科学者たちが神学的権威から知識の自律性を主張する際の理論的根拠として機能した。
三 マルシリウス:国家の解放
マルシリウスが遂行した最も根本的な思想的操作は、「国家(civitas)」を教会的・神学的ヒエラルキーの管理から解放することであった。中世の政治神学においては、世俗的な政治権力は究極的に教会的・霊的権威のもとに位置づけられていた。教皇の「充満した権力」は、世俗的な事柄にも及びうるとされていた。
マルシリウスは、国家をそれ自体の目的(共同の利益の実現)を持つ自律的な組織として定義し、その正統性を「人民の同意」に求めることで、教会的権威からの国家の独立を哲学的に正当化した。これにより、政治理論は神学の管轄から外れ、世俗的な哲学的分析の対象となった。
この「国家の解放」は、後のマキャヴェッリ(一四六九〜一五二七)の「政治の固有の論理(ヴィルトゥと運命)」の認識、さらにはホッブズ(一五八八〜一六七九)やロック(一六三二〜一七〇四)の社会契約論へと発展していく系譜の出発点に位置する。
政治を神学的目的論から切り離し、人間の現実的な利害と合意の問題として扱う近代政治学の自律性は、マルシリウスにその思想的源流の一つを持つ。
第三節 「個」の優位性の確立
一 普遍から個へ――重心の移動
三者の思想を貫く最も根本的な共通テーマは、「普遍(universale)から個(individuum)への重心の移動」である。
中世的な世界観においては、普遍が個に優先する。神という絶対的普遍が宇宙の秩序を定め、教会という普遍的制度が個々の信仰者を包摂し、普遍概念が個別の事物の理解に先立って存在する——これが中世的リアリズムの存在論的・認識論的・政治的内実であった。
三者はそれぞれ異なる文脈において、この優先性を転倒させた。
- ベーコンにおいては、個別の経験・実験・観察が普遍的な法則の認識に先立つ。知識の出発点は個別の経験であり、普遍的な知識はその集積から構成されるものである。
- オッカムにおいては、個物のみが存在し、普遍は個物についての精神的な記号に過ぎない。
- マルシリウスにおいては、国家の正統性の根拠は「個々の市民の同意」にあり、普遍的権威(教皇・皇帝)はその代理・委任物に過ぎない。
この「個への重心移動」は、ルネサンスにおける「個人の発見(Burckhardt)」、宗教改革における「個人の良心の自律性」、近代自然科学における「個別の経験・実験の優位性」、近代政治理論における「個人の権利・自由の基礎性」として、その後の数世紀にわたる西洋文明の展開を方向づけることになる。
二 フランシスコ会という精神的母体
三者の中でベーコンとオッカムはともにフランシスコ会士であり、マルシリウスも彼らと深く連携していた。この事実は、フランシスコ会という修道会の精神的特性と、反スコラ的・唯名論的・経験主義的な思想傾向の間の親和性について考察を促す。
フランシスコ会の創設者アッシジのフランシスコ(一一八一/二〜一二二六)は、「清貧・謙遜・具体的な愛の行い」を説き、抽象的な神学的思弁よりも、鳥や太陽への共感に満ちた具体的な自然への愛着を示した。「造物主の賛歌」に示される、具体的な自然物への讃美の精神は、ドミニコ会的なアクィナスの壮大な形而上学的体系とは対照的である。
フランシスコ会の神学的伝統は、ボナヴェントゥーラ(一二二一〜一二七四)に代表される神秘主義と、経験重視・唯名論的傾向を含む流れの二本立てであった。グロステスト、ベーコン、オッカム、そして後のスコトゥス(ドゥンス・スコトゥス、一二六六〜一三〇八)という系譜は、経験・個物・意志の自律性を重視するフランシスコ会神学の伝統の中に位置づけることができる。
この対比は、ドミニコ会(アクィナス、アルベルトゥス・マグヌス)の知性主義的・実念論的傾向と対をなしている。
第四節 彼らが準備した「近代」の輪郭
一 近代科学への道
ベーコンが「実験科学」の方法論を提唱してから約三世紀後、一七世紀ヨーロッパに「科学革命」が起きた。コペルニクス(一四七三〜一五四三)、ガリレオ(一五六四〜一六四二)、ケプラー(一五七一〜一六三〇)、ニュートン(一六四三〜一七二七)らが達成した宇宙観・自然観の革命的転換は、単なる天才個人の功績ではなく、長い知的準備の結実であった。
ロジャー・ベーコンが確立しようとした三つの認識論的原理——数学的記述・経験的観察・実験的検証——は、科学革命の方法論的基盤そのものである。ガリレオの「自然は数学の言語で書かれている」という宣言は、ベーコンの数学重視論の三世紀後の完成形である。フランシス・ベーコンの「経験と実験による帰納法」は、ロジャー・ベーコンの方法論的直観を体系化したものと言えよう。
さらに、オッカムの「神学と哲学の分離」という原理は、自然哲学者が神学的制約を恐れずに真理を探究できるための理論的根拠を提供した。実際、ガリレオの「聖書は天国への行き方を教えるのであり、天球がどう動くかを教えるのではない」という有名な言葉(エリナ・ガリレイへの手紙より)は、まさにオッカム的な領域分割論の応用である。
二 近代政治思想への道
マルシリウスの政治思想が近代政治理論に与えた影響は多面的である。「立法権の源泉としての人民の同意」という原理は、一七世紀のホッブズ(『リヴァイアサン』一六五一年)とロック(『統治二論』一六八九年)の社会契約論に引き継がれた。
ホッブズは自然状態から契約による国家形成を論じ、ロックは「統治者が信託に違反した場合に人民は権力を取り戻す権利を持つ」と主張した。これらの議論の構造は、マルシリウスの「人民による立法権」と「法に反する執政者の罷免権」の論理と深く共鳴している。
また、マルシリウスの「教会の世俗的権力の否定と精神的領域への限定」という主張は、宗教改革を経て、一七〜一八世紀ヨーロッパにおける「政教分離(separation of church and state)」の原則へと発展した。
ロックの宗教的寛容論(『寛容についての手紙』一六八九年)や、後のアメリカ独立宣言・憲法における政教分離条項は、マルシリウスが蒔いた種の一つの結実と見ることができる。
三 宗教改革への道
マルシリウスとオッカムの思想は、一六世紀の宗教改革においてルターやツヴィングリらによって再発見・援用された。ルターが一五一七年の「九五箇条の論題」において、教皇の免罪符販売を批判した際の論理的武器の一部は、マルシリウスとオッカムから来ている。
「聖書のみ(Sola Scriptura)」という宗教改革の中心的スローガンは、オッカムの「教皇の権威ではなく聖書と真の信仰の伝統が最終的審判者である」という主張の直接の応用である。
「すべての信者の祭司性(priesthood of all believers)」という教義は、マルシリウスの「教会は聖職者階層ではなく信徒の全体である」という教会理解の継承である。
「良心の自由」という宗教改革の核心的価値は、オッカムが「異端の教皇への抵抗権」を正当化する際に用いた「個人の信仰的良心の自律性」の論理の延長線上にある。