第一節 教皇権至上主義と神聖ローマ皇帝の激突

一 「二つの剣」論の歴史的経緯

中世ヨーロッパにおける政治思想の最大の論点は、「二つの剣(duae gladii)」をめぐる問題であった。この比喩はルカ福音書二二章三八節(「見てください、ここに二振りの剣があります」)に由来し、霊的権力(霊剣)と世俗的権力(俗剣)を象徴するものとして中世神学に定着した。問題は、この二本の剣がどのような関係にあるかであった。

教皇側の立場、すなわち「教皇権至上主義(papalism)」の論理は次のようなものであった。神がこの世界に定めた秩序においては、霊的な事柄が物質的・世俗的な事柄よりも優位に立つ。したがって、霊的権力の担い手である教皇は、世俗的権力の担い手である皇帝・国王に優越する。俗剣は教皇の承認と指導のもとに振るわれるべきものである。

この論理を最も鮮明に表現したのが、教皇ゲラシウス一世の「二権論」(四九四年)であり、その後グレゴリウス一世、インノケンティウス三世、ボニファティウス八世へと強化されていった。

インノケンティウス三世は「教皇は太陽、皇帝は月」という比喩を用い、一二〇〇年の教書では「教皇は神の代理人として、諸王の上に立つ」と宣言した。さらにボニファティウス八世は、一三〇二年に発した教書『ウナム・サンクタム(Unam Sanctam)』において、「あらゆる人間の魂が救いのために教皇に従属することは、完全に必要なことである(omnino esse de necessitate salutis)」と断言し、教皇権至上主義の頂点を画した。

しかしこの主張は、フランス王フィリップ四世(「端麗王」)との激しい対立を招き、一三〇三年のアナーニ事件(ボニファティウス八世が逮捕・屈辱を受けた事件)を経て、教皇権は急速に失墜していった。そしてアヴィニョン捕囚(一三〇九〜一三七七年)の時代に入ると、教皇庁はフランス王権の政治的影響下に置かれ、「普遍的な霊的権威」としての教皇の自己主張は、公然たる虚構となりつつあった。

二 皇帝ルートヴィヒ四世と教皇ヨハネス二二世の対立

一四世紀前半の皇帝・教皇関係を劇的に悪化させた最大の要因は、ルートヴィヒ四世(バイエルン公、一二八二〜一三四七、皇帝在位一三二八〜一三四七)と教皇ヨハネス二二世(在位一三一六〜一三三四)の対立である。この対立は、単なる政治的権力争いの次元を超えて、中世政治理論の根本的な問い直しを促した。

ルートヴィヒは一三一四年、ハプスブルク家のフリードリヒ美男公と競合する形で神聖ローマ皇帝に選出されたが、教皇ヨハネス二二世はこれを認めず、ルートヴィヒに対して破門と帝国の封鎖という措置を取った。争点の一つは、皇帝の正統性が教皇の承認に依存するかどうかという根本的な問題であった。

ヨハネス二二世は、選帝侯による選挙だけでは皇帝権は確立せず、教皇による確認・戴冠が不可欠であると主張した。

これに対してルートヴィヒは、一三二四年のザクセンハウゼン上申書において、ヨハネス二二世を異端として告発するという前代未聞の反撃を行った。この対立は長期化し、ルートヴィヒは一三二八年にローマで教皇不在のまま自ら皇帝戴冠を行い、ヨハネス二二世を「偽教皇(heresiarch)」として断罪するという強硬な措置を取った。

この文脈の中で、マルシリウスとオッカムという二人の思想家が皇帝の知的武器として登場してくるのである。

第二節 マルシリウスの生涯と『平和の擁護者』

一 学者から亡命者へ

マルシリウスは一二七五年から一二八〇年の間にパドヴァに生まれたと推定されている。パドヴァは北イタリアの都市国家で、一三世紀末から活発な学術活動の中心地となっており、後にヨーロッパ有数の大学都市となる。

マルシリウスはパドヴァで基礎的な教育を受けた後、一三一二年にパリ大学の学長(recteur)に選出されている。この時期彼はすでに医学・哲学・神学の分野で評価された学者であったと推測される。

転機となったのは、一三二四年の『平和の擁護者(Defensor Pacis)』の執筆と、その直後の逃亡である。この著作の内容が教皇権を根底から否定するものであることが発覚すると、マルシリウスは著書の共著者ジャン・ド・ジャンダン(一二八〇頃〜一三二八)とともに、パリを逃れてルートヴィヒ四世のもとへと逃亡した。

一三二七年、マルシリウスは教皇ヨハネス二二世によって異端として断罪された。しかし皇帝の庇護のもと、彼は著述活動を継続し、特に一三四〇年代には教会改革と教皇権批判に関する一連の後期著作を執筆した。

二 アリストテレス政治学の革命的応用

マルシリウスの『平和の擁護者』の構成と方法論は、当時としてはきわめて独特であった。彼はアリストテレスの政治哲学——特に『政治学』——を出発点とするが、それをアリストテレス自身の意図とは異なる方向へと大胆に発展させた。

アリストテレスにとって、ポリス(国家・都市)は人間の本性(social animal)から自然に生み出されるものであり、人間の最高の自己実現の場であった。国家は単なる契約上の装置ではなく、人間の道徳的完成を目指す共同体(koinonia)である。

マルシリウスはこの出発点を受け入れるが、そこからの帰結として、国家は教会の指導なしに、それ自体の目的と原理によって機能する自律的な組織であるという結論を導く。アリストテレス的国家論を用いて、中世的な「教会を頂点とするヒエラルキー」を解体するというこの戦略は、きわめて巧妙である。

アリストテレスを援用しながらも、マルシリウスはアリストテレスの枠組みを大きく超えた。アリストテレスの政治学は基本的にポリスという小規模な政治共同体を念頭に置き、主権概念や人民主権の理論を持っていない。マルシリウスの「人民主権論」は、アリストテレスとは別の源泉を持っており、ローマ法の伝統(lex regia)や当時の都市国家的な共和政治の実践からも影響を受けていたと考えられる。

第三節 人民主権論と法の支配――近代政治思想の萌芽

一 「平和の破壊者」としての教皇権

『平和の擁護者』の題名が示すように、マルシリウスの政治論の出発点は「平和(pax)」という価値概念である。彼は、平和こそが国家の健全な機能のために不可欠であり、その維持と保護こそが政治の根本的な課題であると主張する。そしてその上で、国家の「平和の最大の破壊者(pestis perturbatrix pacis)」は何かと問う。

マルシリウスの答えは鮮明である。それは「ローマ教皇が要求する世俗的な権限と権威」である。教皇が世俗的な事柄への介入を正当化するために持ち出す「充満した権力(plenitudo potestatis)」という教義——これこそが、国家の平和と秩序を根本から乱す元凶だというのである。

この告発は、単なる政治的反教皇主義の表明ではない。マルシリウスは、教皇の世俗的権力要求が正当化されえない神学的・哲学的理由を詳細に論証しようとする。

まず、キリストは使徒たちに対して、世俗的な権力を一切与えなかったと彼は主張する。

「わたしの国はこの世のものではない(ヨハネ一八章三六節)」

というキリストの言葉は、教会の使命が霊的・宗教的なものに限定されることを示している。したがって、教皇が世俗的な強制力(人々に対する法的・経済的な権限)を要求することは、キリストの意志に反する越権行為である。

二 立法権の源泉――人民の全体

マルシリウスの政治論の最も革命的な部分は、立法権の源泉に関する理論である。彼は明確に宣言する。

「立法権の究極の源泉、すなわち第一原因は、市民の全体(universitas civium)、あるいは権威ある多数(valentior pars)にある」

この主張のラジカルさを理解するためには、中世における法と権力の正統性の根拠を確認する必要がある。中世政治神学においては、すべての正当な権力は究極的には神に由来する(ローマ書一三章一節「権威は神によって定められた(ordinata a Deo)」が根拠とされた)。

したがって、世俗的な法や権力の正当性も、神の意志への適合性から保証されるのであり、教会(特に教皇)がその解釈者として機能するという論理が成立した。

マルシリウスはこの論理を根底から覆す。彼は、立法権が人民に帰属するという主張を、神学的な根拠ではなく、アリストテレス的な政治哲学と法理論の観点から正当化する。法は人民の生活を規律するものであるから、その制定は法によって規律される当事者たちの合意を必要とする。

この「被規律者の同意(consensus subditorum)」という原理は、現代の民主主義理論の核心にあるコンセント(consent)概念の先取りである。

さらにマルシリウスは、立法者が最良の法を制定できる理由として、「多数の人々の集合的な判断は、少数の賢者のそれよりも優れている」という興味深い議論を展開する。

これは単純な多数決主義ではなく、多様な人々が持つさまざまな経験・知識・関心が集合的な審議の過程で統合されることで、より完全な法が生まれるという議論——後のジョン・スチュアート・ミルやハーバーマスの熟議民主主義論にも通じる洞察——である。

「法が定立され遵守されるべき共同体の構成員の全体、あるいはその権威ある多数が、直接に、あるいは代表者を通じて、法を制定する第一原因であり、また最高の立法者である。」(『平和の擁護者』第一部第一二章より)

三 執政者と立法者の分離

立法権を人民に帰属させた上で、マルシリウスは「立法者(legislator)」と「執政者(pars principans)」を明確に区別する。立法者は法を制定する権限を持つ主権的な機関(最終的には人民の全体)であり、執政者は立法者が定めた法を執行する機関に過ぎない。

この区別から重要な帰結が導かれる。君主(皇帝・国王)は、立法者ではなく執政者である。したがって君主の権威は、法の上にあるのではなく、法の下にある。君主が法に従わない場合、あるいは人民の意志(公共の利益)に反する形で権力を行使する場合、人民は君主を罷免する権限を持つ。

これは、立憲主義・法の支配・君主の責任という近代的原理の萌芽に他ならない。

重要なのは、マルシリウスがこの「執政者の罷免権」を人民に帰属させるだけでなく、議会・代議制的機構の機能を論じている点である。彼は、市民の全体が直接に立法に参加することは現実的に困難であるため、代表者(representantes)による参加が必要であると認識していた。

これは明示的な代議制民主主義の理論ではないが、その萌芽を含んでいる。

四 教会論の変革

マルシリウスの政治理論の第二の柱は、教会の本質と権限についての急進的な再定義である。彼によれば、教会(ecclesia)とは本来「信仰者の全体(universitas fidelium)」を意味するものであり、聖職者階層だけを指すのではない。

教皇・司教・司祭を頂点とする教会ヒエラルキーは、本来的な意味での「教会」の権力機構ではなく、信徒共同体から委任された機能的な役割を担う者たちに過ぎない。

この教会理解から、マルシリウスはさらに進んで、教皇の「充満した権力(plenitudo potestatis)」という教義を根本から否定する。教皇には、霊的な指導と説教の権限はあっても、世俗的な強制力(財産の没収、破門による社会的制裁、異端裁判による処刑命令など)を行使する権限は存在しない。

聖書や信仰の問題における最終的な権威は、公会議(concilium generale)にあり、公会議は皇帝の召集のもとに、聖職者だけでなく信徒代表も参加して開かれるべきである。

マルシリウスのこの「公会議主義(conciliarism)」は、一五世紀のコンスタンツ公会議(一四一四〜一四一八年)やバーゼル公会議(一四三一〜一四四九年)における教会改革運動の理論的先駆けとなった。

さらに長い視野で見れば、ルターの「聖書のみ(Sola Scriptura)」や「すべての信者の祭司性(priesthood of all believers)」という宗教改革の核心的主張が、マルシリウスの教会論の深い影響を受けていることは歴史家たちによって繰り返し指摘されている。

第四節 マルシリウスの歴史的位置

一 後世への影響の二重性

マルシリウスの『平和の擁護者』は、近代政治思想の最も重要な先駆的文書の一つとして高く評価される一方、その歴史的影響の実際の経路は複雑である。彼の著作は即座に異端断罪されたが、一五世紀にはヨーロッパ各地に写本が流通し、公会議主義者たちや帝国擁護論者たちに読まれた。

一五世紀末から一六世紀にかけては、宗教改革の文脈においてマルシリウスの著作が再発見され、ルターはマルシリウスに高い評価を与えている(ただしルターがどの程度マルシリウスを直接読んでいたかは議論がある)。

近代的な意味での民主主義理論の発展への影響という点では、マルシリウスと一七世紀の社会契約論者(ホッブズ、ロック、ルソー)との直接的な知的系譜は単純には確定しがたい。

しかし「立法権の源泉としての人民の同意」「執政者の権限は立法者の委任に基づく」「法に反する支配者は罷免されうる」という三つの命題は、後の政治理論の核心的命題と構造的に同一であり、思想史的な連続性は認めるべきであろう。

二 マルシリウスの限界

しかし同時に、マルシリウスの理論の限界も指摘されなければならない。

第一に、彼の「人民(universitas civium)」は、現代的な意味での全市民を含むものではなく、当時の都市共同体における「市民(civis)」——おそらく成人男性の財産所有者ないし自由人——に限定されていた。女性、農奴、外国人を包含するものではなかった。

第二に、マルシリウスの政治論は宗教的・倫理的な内実をほとんど持たない、純粋に機能主義的な性格が強い。彼は国家を「共同の利益(bonum commune)」の実現のための機構として定義するが、その「共同の利益」の内容は議論されず、政治的手続きの問題に問いが矮小化される傾向がある。

第三に、マルシリウスの議論においては、強力な世俗的権力——皇帝——が依然として重要な役割を果たしており、それが民主主義的な制約にどう服するかという問いは十分に展開されていない。実際、マルシリウスは皇帝ルートヴィヒ四世の庇護の下で著述活動を行い、事実上その政治的立場を擁護する役割を果たした。

この「理論的急進主義と政治的現実との乖離」は、彼の思想の複雑な相貌を示している。