一 読解の方法
『神学大全』を読む際の最大の障壁は、問題形式(Quaestio)という特殊な叙述形式に慣れることである。各問項は「第一に問われる〜についてであるが、〜のように思われる(反論)」「しかし反対に(Sed contra)」「答えて言うべきである(Respondeo dicendum quod)」という定型句で進む。初読者は「反論」の部分をアクィナス自身の見解と誤解しやすいが、反論はアクィナスが批判する立場である。
テキストの階層構造を意識することが重要である。部(Pars)→問(Quaestio)→問項(Articulus)という三層構造をたどりながら、各問項の「答え(Responsio)」を中心に読み、反論への応答で論旨の精緻化を確認するという読み方が有効である。
また『神学大全』は独立したテキストとして自立しているが、アクィナスの他の著作̶̶特に『命題集注解』『異教徒に対する大全』『神学要綱』̶̶との対照によって理解が深まる部分も多い。
二 主要概念辞典
【存在(Esse)と本質(Essentia)】
アクィナス形而上学の核心概念。本質は「何であるか(Quid)」を規定するが、現実に存在するためには「存在することの働き(Esse:存在活動)」が必要である。被造物においては本質と存在は実的に区別(Distinctio Realis)される。神においてのみ本質と存在は同一である(神は自己の存在そのもの:Ipsum Esse Subsistens)。
【類比(Analogia)】
神と被造物の間の述語関係を記述するための概念。神を「善い」「知恵ある」と呼ぶとき、この述語は人間に適用されるときとまったく同じ意味でも(一義性)まったく違う意味でも(多義性)なく、類比的な意味で適用される。「帰属の類比(Analogia Attributionis)」と「比例の類比(Analogia Proportionalitatis)」が区別される。
【実体(Substantia)と付帯性(Accidentia)】
アリストテレスのカテゴリー論に由来。実体は自立的に存在するもの(人・石・犬など)。付帯性は実体に依存して存在するもの(色・大きさ・質・関係など)。聖体秘跡の実体変化論はこの区別に依拠する。
【形相(Forma)と質料(Materia)】
アリストテレスのヒュレモルフィズムの中心概念。質料は規定されていない可能性であり、形相がそれを特定の存在物として規定する。人間においては、知性的魂が形相であり、身体(の物質)が質料である。
【現実態(Actus)と可能態(Potentia)】
変化・運動を説明するための概念対。種子はオークになる可能態にあり、成長したオークは実現した現実態にある。神は純粋現実態(Actus Purus)であり、何の可能態も持たない。
【共通善(Bonum Commune)】
個々人の利益(Bonum Privatum)に対立するのでなく、それを包摂する共同体全体の善。政治権力・法の根拠は共通善の実現にある。
【恩寵(Gratia)と自然(Natura)】
アクィナスの有名な原則「恩寵は自然を廃棄せず、完成する(Gratia Non Tollit Naturam Sed Perficit)」。超自然的秩序は自然的秩序を否定するのでなく、それを前提として完成へと導く。これは自然法論・文化・科学の自律性を神学的に基礎づける。
【功績(Meritum)】
神の恩寵と協力する人間の行為が永遠の命の報いに「ふさわしいもの(Condign)」または「適切なもの(Congruous)」として評価される概念。宗教改革における「信仰のみ(Sola Fide)」論争の核心にあった。
三 結語 ̶̶ 永続する問い
『神学大全』の壮大な建築は、単に過去の遺物として博物館に収蔵されるものではない。アクィナスが真剣に取り組んだ問い̶̶神は存在するか、人間の行為はいかなる根拠で善悪と評価されるか、人間の本質とは何か、正義とは何か、死後の命はあるか̶̶は、時代を超えて問われ続ける問いである。
アクィナスの方法の核心は、あらゆる重要な反論を真剣に受け止め、それに誠実に答えようとする知的誠実さにある。反論を藁人形として退けるのではなく、その最も強い形で提示し、真正面から答える̶̶この姿勢は哲学的探究の範例として現代にも生きている。
『神学大全』は完成されなかった。アクィナスは1273年12月6日、ミサの後に突然著述を中断し、「私が書いてきたものはすべて、私が見たものに比べると藁のように見える」と述べたと伝えられる。この謙遜の言葉̶̶あるいは神秘体験の証言̶̶は、人間の知性による神についての言語の限界を知悉した思想家の、最後の率直な告白である。
そのような限界の自覚の上に立ちながらも、アクィナスは生涯にわたって思索し、書き続けた。この営みそのものが、『神学大全』の最も深い教えのひとつかもしれない。人間は究極の真理に到達できないかもしれない。しかし到達しようと問い続けることが、人間の知性的本性に刻み込まれた使命なのである。
【主要参考文献】
- Thomas Aquinas, Summa Theologiae, Editio Leonina, Roma, 1888‒1906.
- エティエンヌ・ジルソン著、上智大学中世思想研究所訳編『トマス・アクィナスの哲学』創文社、1981年。
- ジャック・マリタン著、久保正幡訳『神学大全への序論』新泉社、1986年。
- 山田晶『トマス・アクィナス』講談社学術文庫、2010年。
- 稲垣良典『トマス・アクィナスの神学』創文社、2000年。
- Alasdair MacIntyre, Whose Justice? Which Rationality?, Notre Dame, 1988.
- John Finnis, Natural Law and Natural Rights, Oxford, 1980.
- Brian Davies, The Thought of Thomas Aquinas, Oxford University Press, 1992.