第六章:自然変換と版の整合性
第六章 自然変換と版の整合性
6.1 解釈の一貫性としての自然変換
圏論において自然変換は「函手間の射」として定義されるが、ブルックナーの版問題においては「異なる分析的アプローチの間の整合性」を記述する道具として機能する。
二つの分析函手 F, G : 𝐁𝐫𝐮𝐜𝐤₈ → 𝐀𝐧𝐚 (𝐀𝐧𝐚 は分析結果の圏)を考えよう。F は「和声分析函手」(各版の和声的特徴を分析する)、G は「形式分析函手」(各版の形式的構造を分析する)とする。自然変換 α : F ⟹ G は、各版 v に対して和声分析 F(v) と形式分析 G(v) の間の「一貫した(consistent)対応」α_v : F(v) → G(v) を与える。
∀ rev : v → w, G(rev) ∘ α_v = α_w ∘ F(rev)
この自然性条件(naturality condition)は、「改訂によって和声分析がどのように変化するか」と「改訂によって形式分析がどのように変化するか」が一貫して対応していることを要求する。自然変換が存在するとき、二つの分析アプローチは「版の変化に対して一貫したふるまいをする」と言える。
6.2 版の整合性問題
ブルックナー研究において「版の整合性」とは、異なる版が示す音楽的要素(主題、和声、管弦楽法)の変化が互いに一貫しているかどうかという問題である。圏論的には、この問題は以下のように定式化できる。
6.2.1 和声分析と形式分析の整合性
第八番において、1887年版から1890年版への改訂における第一楽章コーダの変更は、和声分析(ハ短調の「暗い」結末から壮大な長調的コーダへ)と形式分析(提示部・展開部・再現部・コーダの比率変化)の両方に影響を与える。これら二つの変化が「整合的」であるとは、
(和声的変化の方向)= (形式的変化の方向) [自然変換の整合性]
が成り立つことを意味する。具体的には、コーダの「開放感(openness)」の増加が和声的変化(長調化)と形式的変化(規模の拡大)の両方において一貫して表れるとき、自然変換が存在する。
6.2.2 主題的一貫性と自然変換
ブルックナーの版改訂において、主題素材の扱い方の変化が自然変換を形成するかどうかは興味深い分析対象である。第三番の例で考えよう。
函手 F(主題提示分析)と函手 G(主題発展分析)を定義する。F は各版における主題の最初の提示の特徴(音高、音域、ダイナミクス、楽器)を記述し、G は各版における主題の発展(変奏、変形、断片化)の特徴を記述する。
第三番の三つの版において、ワーグナー引用の削除(v₃¹ → v₃²)は、F(主題提示)においては主要テーマの性格変化として現れ、G(主題発展)においては展開部の構造変化として現れる。これら二つの変化が自然変換を形成するならば、「引用の削除が主題提示と発展の両方で整合した変化をもたらした」という重要な分析的結論が得られる。
6.3 自然同型と版の等価性
自然変換の特別な場合として、各成分 α_v が同型射である「自然同型(natural isomorphism)」は、函手 F と G が「本質的に同じ」であることを表す。版問題への適用として、二つの分析函手が自然同型を持つことは、二つの分析アプローチが本質的に同じ情報を与えることを意味する。
より重要な応用は、版間の自然同型の考察である。もし版圏 𝐁𝐫𝐮𝐜𝐤₈ において版 v₈ᴴ(ハース版)と v₈ᴺ²(ノヴァーク1890年版)の間に「強い意味での」等価性(圏論的同型)が成立するとすれば、それは演奏実践上の選択においてどちらを使っても「本質的に同じ結果」が得られることを示す。しかし実際には、ハース版とノヴァーク版の間には自然同型は成立しない——ハース版独自の折衷的要素がノヴァーク版に対応する射を持たないからである。
6.4 モナド(Monad)と改訂の累積性
圏論において、モナド(monad)は自己函手(endofunctor)T : 𝒞 → 𝒞 に単位変換 η : Id ⟹ T と乗算変換 μ : T² ⟹ T を加えた構造であり、代数的な「計算の文脈(context of computation)」を表すために使用される。
(T, η, μ) : T ∘ T ⟹ T, η : Id ⟹ T
μ ∘ Tη = μ ∘ ηT = id_T (単位則)
μ ∘ Tμ = μ ∘ μT (結合則)
ブルックナーの版問題においてモナドの概念が有用となるのは、「改訂の累積(accumulation of revisions)」を記述する際である。改訂操作を自己函手 T : 𝐁𝐫𝐮𝐜𝐤 → 𝐁𝐫𝐮𝐜𝐤 として捉えると:
単位変換 η : Id ⟹ T は「改訂なし(identity revision)」を表し、各版をそれ自身に送る。
乗算変換 μ : T² ⟹ T は「二段階の改訂を一段階に統合する」操作を表す。
モナドの法則は「改訂を行わないことは何もしないことと同じ」(単位則)と「三段階以上の改訂の累積は結合的である」(結合則)を表す。これはブルックナーの改訂プロセスの「代数的性質」を捉える形式化である。