第一章:ブルックナー交響曲の版問題 - 歴史的概観
第一章 ブルックナー交響曲の版問題:歴史的概観
1.1 版問題の発生:ブルックナーの自己改訂という現象
ブルックナーが自己の交響曲を繰り返し改訂したという事実は、彼の伝記のなかで最もよく知られた側面の一つである。しかしこの改訂行為の性格については、従来の研究において大きく二つの相反する解釈が拮抗してきた。一方は、改訂は弟子たちや指揮者たちの干渉によるものであり、初稿こそが「真のブルックナー」を体現しているという見方である。他方は、改訂はブルックナー自身の成熟と様式的洗練を反映しており、後期稿に最終的な意図が表れているという見方である。
ブルックナーが交響曲の改訂を行った動機は複合的である。まず、初演の試みが挫折した際に、演奏をより実現しやすくするための実用的改訂がある。第三番交響曲の初演(1873年)がリヒャルト・ワーグナーへの献呈をめぐるエピソードとともに行われたことは有名だが、その後の改訂(1876年版、1878年版、1889年版)は演奏上の困難を軽減する側面を持っていた。次に、批評家や指揮者からのフィードバックを受けた様式的改訂がある。ブルックナーは晩年まで批評に敏感であり、特にウィーンの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックの批判は彼に深刻な影響を与えた。さらに、ブルックナー自身の内的発展に基づく様式的洗練という動機もある。
改訂の範囲は版によって大きく異なる。交響曲第一番の場合、1866年のリンツ稿と1890–91年のウィーン稿の間には、単なる細部の修正を超えた根本的な再作曲が含まれる。第三番交響曲は三つの版が存在し、それぞれに実質的な内容上の差異がある。第四番「ロマンティック」は第二楽章と第三楽章(スケルツォ)が版によって根本的に異なる。第八番は1887年版と1890年版の間に、構造的に重大な変更が加えられている。
1.2 主要な版の分類と特徴
1.2.1 ノヴァーク版とハース版
現代の演奏実践において最も影響力を持つ二つの版群は、レオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak, 1904–1991)が校訂したノヴァーク版と、ロベルト・ハース(Robert Haas, 1886–1960)が校訂したハース版である。いずれもウィーン国立図書館(現・オーストリア国立図書館)の国際ブルックナー協会(Internationale Bruckner-Gesellschaft)が後援して出版された批判校訂版(Gesamtausgabe)に属する。
ハース版(1930年代–1940年代に刊行)は、ブルックナーの自筆稿を最重要視し、いわゆる「弟子たちによる改悪」を排除して初稿ないし「真正の稿」に近づけることを目標とした。特に有名なのは第八番交響曲のハース版であり、1887年版と1890年版の素材を組み合わせた折衷的編集を行っており、これはハースの独自判断による「再構成」ともいうべき性格を持つ。このため後の研究者からは、ハース版は歴史的に実在しない「理想のブルックナー」を作り出したという批判が向けられることになった。
ノヴァーク版(1950年代以降)は、ハース版に対する批判的継承として位置づけられる。ノヴァークは折衷的編集を避け、各稿を独立した版として別々に出版する方針を採った。この方針によって、例えば第八番では1887年版と1890年版がそれぞれ別の校訂版として存在することになり、演奏者は自らいずれかを選択する必要が生じた。ノヴァーク版の学術的厳密さは高く評価されているが、実践的な演奏者にとってはかえって困惑の源ともなっている。
1.2.2 コールス版と独自版
二十世紀後半から二十一世紀にかけて、ノヴァーク版・ハース版以外の校訂版も登場している。ウィリアム・キャラガン(William Carragan)による版は、ブルックナーの自筆の指示を徹底的に追跡した独自の校訂方針を持つ。また、シリル・ブロフスキー(Cyrill Brofsky)らによる研究も版の問題に新たな光を当てている。さらに、指揮者自身が版を「改訂」する実践も存在する。例えばカール・ベームやオイゲン・ヨッフムは、複数版を参照しながら独自の演奏稿を使用することがあった。
このような多様な版の存在は、演奏実践において「ブルックナーの真の意図」をどこに求めるかという根本的問題を提起する。そして、まさにこの問題の核心に、本書が圏論的アプローチによって迫ろうとする哲学的・形式的な問いが潜んでいる。
1.3 各交響曲の版問題の概要
1.3.1 交響曲第零番・第一番
ブルックナーの作品番号外の「習作交響曲」(ヘ短調、1863年)と第零番(ニ短調、1869年)は、番号付き交響曲とは異なる複雑さを持つ。第零番はブルックナー自身が「無効(annullirt)」と宣言したが、音楽的価値は高く、現代でもしばしば演奏される。この「作曲者による廃棄宣言」という事実は、版問題に法的・美学的な次元を加える。作曲者が作品を放棄した場合、その作品のオーセンティシティはどのように判断されるべきか。
第一番交響曲は1866年のリンツ稿(ハ短調)と1890–91年のウィーン稿という二つの大きく異なる版を持つ。リンツ稿は若々しい粗削りの力強さを持ち、ウィーン稿は後期ブルックナーの洗練されたオーケストレーションを示す。多くの研究者はリンツ稿を「オリジナル」として重視するが、ウィーン稿はブルックナー自身が生涯最後の大規模改訂作業として完成させたものであり、どちらを「最終意図」とみなすかは一概に判断できない。
1.3.2 交響曲第二番・第三番
第二番交響曲は1872年版、1877年版(ノヴァーク版)、1892年版(オーウェン版とも呼ばれる)の三つの主要な版を持つ。版間の差異は主として楽章の繰り返し、遅い楽章のカット、管弦楽法の細部にわたる。特に問題となるのは、第一楽章・第三楽章のいわゆる「一時停止(Generalpause)」の扱いで、版によって存在する箇所が異なる。
第三番交響曲はブルックナー作品中で最も版問題が複雑な作品の一つである。ワーグナーに献呈され「ワーグナー交響曲」とも呼ばれるこの作品は、1873年版(第一稿)、1876–77年版(第二稿)、1888–89年版(第三稿)の三つの版が存在する。第一稿はワーグナー、ベートーヴェン、リストへの引用を含み、後の版ではこれらの引用が大幅に削除された。第二稿ではさらに大規模なカットが行われ、初稿の約三分の二に短縮されている。
1.3.3 交響曲第四番「ロマンティック」
第四番「ロマンティック」(変ホ長調)は、ブルックナー作品の中でも最も人気の高い交響曲の一つであるが、版問題においても特に興味深い事例を提供する。1874年版(第一稿)、1878–80年版(第二稿、いわゆる「ロマンティック」版)、1887–88年版(第三稿、コーストナー改訂を含む)の三つの主要な版が存在する。
特に注目されるのは第三楽章スケルツォの変更である。1874年版では「狩り」のテーマを持つスケルツォが書かれていたが、1878年版では完全に別の音楽(現在通常演奏されるヴァージョン)に差し替えられた。これは「改訂」を超えた「再作曲」といえる変更であり、第四番の版問題は単なる細部の差異ではなく、作品の同一性そのものを問う問題を含んでいる。
1.3.4 交響曲第五番・第六番・第七番
第五番(変ロ長調)は、ブルックナーの交響曲中で版問題が比較的単純な部類に属する。主要な版は自筆稿に基づくノヴァーク版であるが、フランツ・シャルク(Franz Schalk)による大幅に改変された版(1894年初演使用版)の問題が残る。シャルク版は多くの箇所でブルックナーの管弦楽法を「改良」し、楽器を追加・変更しており、ブルックナー研究者からは批判されるが、歴史的に重要な実演の記録でもある。
第六番(イ長調)は、ブルックナーが生前に全曲初演を聴けなかった唯一の交響曲であり(第二楽章・第三楽章のみ1883年に演奏)、版問題よりもむしろ作品の受容史における困難が大きい。第七番(ホ長調)は1881–83年に作曲され、1884年の初演でブルックナー初の大成功を収めた。版問題は比較的軽微で、主にフィナーレにおけるシンバル・トライアングルの使用の是非が論争点となっている。
1.3.5 交響曲第八番
第八番(ハ短調)は、版問題においてブルックナー作品中最も激しい論争を呼んできた作品である。1887年版(第一稿)と1890年版(第二稿)の間には根本的な差異がある。初演予定の指揮者ヘルマン・レヴィが1887年版を拒絶したことがブルックナーに深刻なショックを与え、彼は1890年にかけて大規模な改訂を行った。
1887年版と1890年版の主な差異は以下の通りである。第一楽章のコーダが全面的に書き直され、1887年版では主音(ハ短調)で終わっていたものが、1890年版では壮大なコーダに変更された。第三楽章アダージョは1887年版の方が短く、1890年版では大幅に拡張されている。第四楽章フィナーレは、ブルックナーの交響曲中で最も長大な楽章の一つであり、版間の差異も大きい。ハース版は両版を折衷して独自の版を構築したが、これは学術的に批判される一方で、演奏実践上は長く使用されてきた。
1.3.6 交響曲第九番(未完成)
第九番(ニ短調)はブルックナーが1887年から死去する1896年まで作曲し続けたが、フィナーレを完成させることなく世を去った。第一楽章・第二楽章(スケルツォ)・第三楽章(アダージョ)の三楽章は完成しており、フィナーレのスケッチも相当量残されている。
第九番の版問題は二層構造を持つ。第一の層は完成三楽章の校訂問題であり、ノヴァーク版が標準とされているが、自筆稿に存在するいくつかの曖昧な指示の解釈が問題となる。第二の層は、フィナーレのスケッチをどう扱うかという問題である。フィナーレを補完・完成させようとする試みは複数存在し(サマーレ=フィリップス=コールス=マッツーカ版が最も包括的)、これらは「版問題」に「補完問題」という新たな次元を加える。
1.4 版問題の哲学的次元
ブルックナーの版問題が単なる文献学的問題を超えて哲学的問題となる理由は、「作品の同一性」という概念に関わるからである。哲学的音楽学の文脈では、これはネルソン・グッドマン(Nelson Goodman)の「同一性の条件(conditions of identity)」をめぐる議論、アレン・リビン(Allan Litvinn)の「タイプとトークン」概念の音楽への適用、ジャニーン・デュナン(Jerrold Levinson)の「音楽的作品はいかにして存在するか」という問題等と交差する。
特に重要な問いは以下の通りである。第一に、同じ標題と同じ調性を持つ複数の稿は「一つの作品の複数の版」なのか、それとも「複数の異なる作品」なのか。第二に、作曲者の「最終意図(final intention)」は、どのように確定されるべきか。第三に、弟子や協力者による改訂は、いかなる場合にオーセンティックとみなされるか。これらの問いに対して、圏論は直接的な答えを与えるのではなく、問いそのものをより精密に定式化するための概念的枠組みを提供する。
哲学者W.V.クワイン(W.V. Quine)が「存在論的コミットメント(ontological commitment)」と呼んだ問題——どのような実体の存在を認めるかという問い——は、ブルックナーの版問題においても中心的である。「第八番交響曲」という単一の作品が存在するのか、「1887年版第八番」と「1890年版第八番」という二つの異なる作品が存在するのか。この問いに対して、圏論は対象の同一性よりも対象間の関係(射)に焦点を当てることで、「同一性」の問題を「変換の構造」の問題へと転換する視点を提供する。